自己と自我について 10


 自己は、知らせるものであるだろう。そして、自我は、了解するものとなる。言い換えれば、知るものとなる。だから、認知行動心理学の課題となる。実践智だ。










自己、自我について 9 認識、認知について 2 空間について 6 存在について 8



 自我とは、自己を対象とする認識作用。たとえば、自我に対する知識。自我知識。認識とは、知識とほぼ同義。哲学用語でも、科学、心理学用語でもある。自己認識。メタ認知。自我=意識ではない。


 自己とは、経験または意識される自分。たとえば、自己認知。認知とは、知覚、判断解釈過程、科学。


 認識不可能なものなどない観念論。

 経験にもとずく、経験論。しかし、直観的に認識できる、アプリオリに、そうあるべきではないのだ。「~せよ。」である。理性、実践、判断力。


 科学的にも、ダークマター、ダークエネルギーは認識されていると言えるだろう。いわゆる真空の、空間。存在である。科学では、場かな。


 結論、この辺りのことは、認識の問題なんだ。


 自己は実践智の過程(判断、解釈)。


 自我は、自己を対象とする知識。











自我と自己について 8


 意識するものとされるもの。されたもの。


 知るものと知られるもの。知られたもの。


 原理と対象。心。精神。


 理性と知性と知識。知恵。


 認知と認識ともの。


 自我と自己と自体。


 絶対的原理法則。











自我、自己について 5


 上昇からシルバーコード。ヒンドゥーでアートマン、ハイヤーセルフ、高い自己、は真我、自己はジュナナ、知識であり、仏教では自我、魂、エゴともなる。


 しかし、ヒンドゥーでは超越で、ブラフマートマ。仏教に別はなく我はない。無我を知ること、すなわち悟りとなる。アートマンはブラフマン,梵我一如で仏教とヒンドゥー超越で同一、となる。


 超越論、悟り、形而上学的方法論でもある。言葉の壁か、救済の哲学なのか。


 「まもる。」











自己自我について、及び真我真如について 4




 のりうつっている。とりついている自己。あるいは、真如。のりうつれる。とりつける。


 のりうつれない。とりつけない自我、真我である。


 で、どうだろう。


 受動とか、能動活動のことではない。また、可能、不可能の事を言っているのではない。


 自体のことか、そうでないか。あるいは、集合意識云々である。


 そのままある。











自我同一 自己同一 アイデンティティーについて 3






 自分は一体何のために生まれてきたのか?


 この埃っぽい現実の光景は、望んだ世界なのだろうか?


 こんな世界など望んでいない!


 この無味乾燥な世界。


 自然回帰?


 自己実現?


 何をどのように?


 未来?


 何を手段に?


 目的は?


 ただ、食べて寝るだけ?


 天国?


 地獄?


 転生はあるのか?


 会社行って、 帰って、寝るだけの生活?


 そんなことだけのために?


 生きてる?


 ただ生きてるだけ?


 機械的に?


 無味乾燥。


 喜怒哀楽が幸福?


 感情など犬でも猿でもある!


 錆付いた錫と亜鉛の世界のようだ。


 アルミの錆びた世界。


 鉄錆びの侘び寂びの世界。


 どこが粋なのか?


 コンクリート剥き出しの、


 黒ずんだ。


 最初だけの、新しいだけの世界


 目新しいだけの文明。



 自己実現=自我実現











自我について 自己について 真如について 真我について 2




 傍迷惑だが、見ていない人には善行である。


 見えると迷惑であるが、見えないと善行である。


 かっこよくて、まねたいことが道徳なのである。


 自分のためにやるしかない。


「自分とは一体、誰なのか。」



 誰のためにやるのか。


 間違っても傍のためではないと思うだろう。では、その自分とは。


 「汝、自身を知れ!」


 自分も傍であり、見えない人であり、行なう人である。プラグマティズム。


 美徳は、見てカッコイイから模範とするのである。


 自分のためならやれる? 自分とは。


 そして、他人にやってもらいたい自分もいる。




「自分は一体何者なのか」


「自分はどこから来てどこへ行くのか。」


「自分の何のために生まれてきたのか。」


「この人間の“自己”という本当の正体への探求という熱望」


 言い換えれば、この不可思議な法界、天界への平安と自由の郷愁。











原理、法則について





 有るか無いか? ではなく。


 円の中の有限であり無限である集合。



 0と1の法則?


 原理!


 利用するものを原理、あるものがそれを使ったら、従わざるを得ない法則を原理という。


 ある程度、自由であるものを法則、相対的である主客で観想できるもの自由意志を行使できるものを法則という。











人格について 4



 人格には、価値があるという。


 どこを探すのだろうか。


 ということである。




 ここで問題である。物として、手段の価格があり、人格には、道徳的、倫理的目的と手段があるという。


 やはり、人は、売るのである。商品だけでなく、時間と、労働と、倫理、道徳、人格まで。まるで、奴隷である。


 地球は、誰のものでもなく、宇宙も然り。

 人の価値、人格は、誰のものだろう。あるいは、その所在はあるのだろうか。


 神のものと言えなくもないが、だとすれば、誰のものでもない。普遍的な愛といえる。











人権及び人格について  3(1)



 自分の人権を売って、他人の人権を自分のものにして補填する。


 あるいは、自分の人格を売って、他人の人格を自分のものにして補填する。


 はっきり言えば、時間給で売ってしまって失った自分の人格、人権を他人を従わせることで、自分の人格、人権、身を保とうとするのである。


 現代人、あるいは、経済成長期時代の経済大国日本の、性質、現状である。


 忙しくても、人を増やさず、その場限りの残業にして、人件費分儲け。その人件費分を独り占めできた。それが、お互いの儲けであったのが、いつしか損得の関係になってしまった。無い残業を求めた。工面せざるを得なくなった。


 それは、8時間労働の人権人格であったのに。


 また、仏陀の時代の輪廻転生である。仏陀が、まだ王子の時、彼は虎であり、アレクサンダー大王と戦った、像なのだ。











人格について 2


 システムは皆同じでも、使い方、インプットの仕方で異なる。例えば、システム、モジュール、ソフト、ハード。


 経験、学習、先天的先見的先験的脳システムである。


 ハードプロブレム。


 ブレイン=コンピュータ・インターフェース。

  

 凡人…は、一生懸命善人であることである。高級なる精神。


 これって、非凡、賢人では。











クオリアについて 6


 針が指した、ここ。メモリのない、ここ。


 さて、ここが万人共通だろうか。


 光の加減でここが違ってくるし、気分で違うしと…。


 論理などどうにでも立てられる。



 ゾンビ…。











クオリアについて 4 副題 チャクラ、オーラ





 オーラ

 チャクラ 

 群青色だった…

 星幽色の

 星を包む

 生命の

 宇宙の衝動の

 神の無意識

 大木の

 その触れたもの、その時ではなく

 その状態は二度とない

 川の流れは二度あるかもしれないが、自分の人生は二度とない。

 それは、完全性まで進化するからだ

 自分の身体の同じ状態は二度とないだろう

 老いは免れていない

 チャクラ


 オーラは想像ではない

 生きた気なのである

 だから、よかった時を思い出してイメージしても駄目な時があるのである

 あの時はよくても、今は駄目な時 が良くある


 生きた気を授受するのである

 植物が二酸化炭素を

 人間が酸素というように

 そのとき、その場の

 本質、本体、実在の、実存の

 それはまた、人間の想像の邪気ではない

 宇宙の精髄なのである。

 想像ではない

 催眠でもない

 ホメオスタシスであって

 カタルシスではない

 プロトサイエンス

 プラセボ

 バイアス

 イメージではない

 創造のエネルギーである。

 肯定的とも建設的とも言いがたい

 違うのである

 そのときの

 今このときの、この一瞬の気づき

 オーラ、他の言葉がお好みならそれでも構わない

 言葉、名前など何でもいいのである

 人の数だけ方法はある、

 そのときは、永遠無限にある

 それ

 これ

 しかし、これ、それの同じ流れは、二度とないが、浄化の力は失われないのではないだろうか。

 色は、当然人によって違うのである

 それが、クオリアだから当然である


 しかし、この問題、このハード・プロブレム



 大体、態々、サイボーグにこんな装置をサイボーグのために装備する必要があるだろうか。

 そうではないだろう

 ハード・プロブレムを早く解け!

 早く癒せ!治せ!


  四次元とかM次元ではなくてそんなこと考える暇があったら、不治の病の治し方でも考えろ! …

 時間と空間のなどという暇はお前達にはないのだ!

 それがその脳みその義務だ!

 私は、その脳みそはないが…。












クオリアについて 2




癒しのオーラの感覚

 これは人間的動物的ネコ的な癒しなのか、それとも機械的なマイナスイオンなのか。


特殊な学習能力

 先天的盲視の開眼で見られる経験視体験視という学習の必要性でもわかるのである。

 そして、共感覚、音に色が見えるなど。


 続いて、数値に表せないのは、病的で特殊だからではないのか。


 さらに、味覚であるが、サイボーグに味覚がなぜ必要になるのだろうか。


 こうしてみると、サイボーグのほうが有利であるように見えるのだが。


 しかし、こうである。心は意識は、統一理論ができても解明されないだろうと。


 結論として、高級な質、状態は人間には無理がある。意識が理解できないのは、病的であり、ただの人間の遺伝子の悪さであるのではないか。さらに、そんな研究が何のためにもなっていない。他にやることがあるだろう、はっきり言えば、癌でも治せるようになるのか、精神病が治せるようになるのかと。人間がすでにわかることなどに用はなく、人間の知れないことに用があるのであると、聞こえてくるのである。

 言いければ、癒し、治療云々なのに、関わりたくないかのような遠まわしな…。

 ハードプロブレムなのである。




 つくづくと自分は凡人なんだな…と思います。

考えすぎると歩けなくなる^^;心の奥が感応する…その感覚に正直でありたいと思いました。

凡人らしい凡人でありたいものです。



 次の記事へどうぞ。


 結局、どっちもどっちということなのでしょうか。

 あなたの(カルマの福徳の)手持ちではまっとうな肉体を確保できるでしょうが、いざ、私となれば、~


数霊70?


 次の記事へどうぞお願いします。(^_~ρ7o











クオリアについて 1



 社会生活をするには支障はない、のが大半なのであると気付いた先達たちはどうしたのだろう。 そして、自分たちが特殊と気付いた天才たちは…。


…教えてください。


自分たちの思考は社会生活には無理があるのだと。


…どうすれば良いのかを。


 我々は社会生活をするぶんには支障はないだけだということに気付いた我々は…。












誠実について 3


  

 善意を前面に押し出しても、そこが安全な国であれば、何の問題はないのである。ほとんどの人が誠実であると思えるからである。結果が先に立っている催眠術のような、洗脳のようなものである。相手の足元も見て行なっているのである。


 二元性、只の善悪で論ずる、二者択一論なら誰でも善を選ぶだろう。行なうことは悪でも。


 歩み寄りのない理論は机上の何とかではないだろうか。


 はっきり言えば、頭の弱い人をたぶらかしているのである。


 日本で、やって何になるのだろうか。アメリカでやって何になるのか。それもお金を取って。


 強いて言えば、イスラム世界に通用するだろうか。その時、ほとんどきれいごとだと自覚するだろう。それでもわからない人は、自己暗示にかかって、ドーパミンで頭が一杯なのである。


 イスラム世界で、それに気づいたときは、「遅い」とならないようにしなければならない。













誠実について 2


 あの人は善い人だから助けてあげたいという気持ちを持った人、あるいは、救ってあげたい、守ってあげたい。  しかし、こちらが善意であっても、相手が誠実でなければならない。  いわゆる、「ウザイ」と思うこと、思われることは、誠実ではないのだろう。しかし、誠実は美徳である。



コメント


 偽善 嘘の塊。

 自分がそのように感じられてならないときがあります。

 でも 自分自身が愚かしい人間であることだけは 十分に認識しているつもりです。考えること 思索をめぐらすことよりも 体が動いてしまう。

それしか出来ない自分を やはり大事に思うしかないのでしょうね。





 こんなお題目を思い出しました。「一体、自分とはなにものなのか。」


 誰のために、何のために…。

 答えが見えた気がします。

「汝、自身を知れ!」

…。










誠実について 1



 自分がして欲しい事をしてあげるのではなくて、その人がして欲しいことをしてあげる。 「そういえば、ほんとうに...。」 「まことに見事に咲いていますねぇ。」 「ほんに、そうですねぇ。」 「あっそう」  「麻生?」




コメント(1)


 8年間 福祉のお手伝いをさせて頂きました。

 なんとなく上から目線。

 車椅子に手を触れさせていただくのに 三ヶ月ほどの時間が必要でした。そして8年間 自分が心臓の発作で倒れるまで 心を開いて下さった方が 多数現れてくださいました。

 別に 何かをして差し上げるのではなく そうすることが普通のこと、当たり前のこと。そんな意識が私の中に芽生えたことが その理由だったのでしょうね。 健