本能について



 本能は物自体である。


 分かったようで分かっていない、有機体の代謝である。


 ライオンのあの性格が変わらないが如く。





 人間の自由意志、ヘーゲルの主観。











ゲシュタルト(形態)心理学の原理について


 ゲシュタルト原理から



 ゲシュタルト原理から


wiki等から

人間の認識は、普遍的ではなく、学習されたものである。言い換えれば、構築されたものである。


ゲシュタルトの祈り

 パールズが作ったゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩で、彼はワークショップでこの詩を読み上げることを好んだ。


 私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。


 私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。


 そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。


 もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。


 出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。


 このセラピーでは、過去になにをしたか、それはなぜなのかを問うことはしない、「今・ここ」で、「いかに」・話しているか、「なにを」・話しているかを問題にする。それを気づき、体験すること、そこから全身全霊的な気づき、覚醒を目指し、そこで自分自身であるという自由を取り戻すことを目的とする。


ゲシュタルト崩壊

 ゲシュタルト崩壊とは心理学における概念の一つで、全体性を持ったまとまりのある構造(ドイツ語でゲシュタルト Gestalt 形態)が、なにかをきっかけとして関連性に疑念を抱く状態となり、個々の構成部分のみに切り離して認識しなおそうとする事である。














聖所について 1

矛盾について





 たとえば、ウィルスである。


 または、道徳という、人類至上主義的に言えば、善である。合目的的である。異文化理解、多文化共生であるために。社会と、個人という矛盾、異文化・・・ストレス、ヒステリー、などなどが起こるのである。あるいは起きているこの普遍という矛盾を受け入れなければ。


 反証主義だから、決定論的運命、宿命論神秘学は、科学から、遠ざけられたのか? 独我論の方がましである。


 逸れてしまった。



 システム論から言えば、人体のシステムのみで言えること、主客歴然であるところのものである。キラー細胞、免疫系は、他人を排除する、社会道徳は、そうではない。


 人体のシステムと、社会のシステムは相容れないのである。


 ループであり、オートポイエーシスではないだろうか。


 しかし、こんなこと当たり前のことと思うのであるが・・・、頭がいいのか、悪いのか。


 個人があるから、存在感があるであろうのに。










陰謀論について 2


 腑に落ちない物が落ちたような気がした。


 陰謀論は、精神病質者や社会病質者からの考察、憶測、あるいは直観ではないのだろうか。自分は推測であるが。


 サイコパスやソシオパス。



 我々はそう思われている。ではなく、統率している者が、そうなのであるらしい。


 いわゆる、放送禁止用語の気違い扱いなのであるが。



 自閉症然り、また、サバタイ・ツヴィー然り。

 天才である。




 詳しくは、wiki 精神病質へ











陰謀説について 1







建設的について 12




 建設的とは数学的で自然とは対照的だ。



 破壊は、法則であるし、変化もある意味破壊である。


 建設は自然の破壊ではないか。


 動物は弱肉強食であるし、善悪をいうのは、人間だけである。


 善が神の摂理というのは、合理主義ではないか。


 神ではなくて、創造者。


 愛。愛なくして、通らない。


 理想には程遠いが、最全を行わなければならない。


 宇宙の意志に、建設的なことが、その意志に沿っているように、歴史は祈っている。肯定的。自然の破壊。その土地にの整地が。今も祈禱をあげている。地鎮祭。


 人間の善を神が認めているのかいないのかだ。













ポジティブ、肯定的、建設的、完全性、楽天主義、楽観主義、悪いことなど絶対に起きない、良いことしか起きないこと、いかなる意味においても妨げになることなどありえないことについて 11



  •  自分の考えなど用はないのである。あるいは、物質世界とか、俗世間とかいう低次あるいは、半端な神秘学的な思考など用はないのだ。高次の世界、ハイエラルキー。高僧の世界。あるいは、思考は完全、完璧なのだ。たとえそうでないと反論されようとも、自分の理想とする高僧は、シャンバラは、サングリアは、高次の世界は完全完璧で、悪いことなど絶対起きないのである。あるいは、桃源郷、仙境、ユートピア等名は何でもいいのだが、その完全完璧な世界と同調するのだから、悪いことなど起きようがないのである。そういう世界と同調するのだから。


     悪いことなど絶対起きない世界があると思えるまで、あるいは、絶対に起きないと思えるまで、自分の思い通りなどおぼつかない。用はない。


     この世界があれば自分の考えなど用なく、自分が思えるようになれば自分の思いでいいのだ。


     さて、守る必要はないだろうか。やはり、「まもる」は、悟り臭さだろうか。それとも、上記の世界思考が臭さだろうか。しかし、形而下において、物質世界に生まれて「まもる」ことは必要であろう。あるいは、何から「まもる」のか。悪い考えからか。涅槃に入る。言葉ではなくで、「まもる」ということも必要のない世界。そのまま平和。幸福な世界が、永遠に。また、だから守らなければならないのかもしれない。


     こう思うのは、少し難しい。自分の考えを否定されるのだから、まず、理屈抜きで難しい。また、よく聞く、「絶対などありえない」という固定観念もある。とは言うものの、私の考えなどどうでもいいのだから、私は絶対悪いことなど起きない聖域に同調する。


     できた。これで完璧だ。

















肯定的、建設的について 10



 建設的。偉大な建築家創造主の、完璧な人間の設計図。 すべて肯定的なこと。まもる。嘘も、方便も。まもる為である。











肯定的、建設的について 8



 相手の答えが、“イエス”、"yes"、とか「はい」、次も「はい」、次の問いも「はい」となるように話すのである。


 だから、建設的というのは、こちらが、ボケをやり、相手方が、つっこみをやるのである。

 そうですよね、ほんとにそうですよねと誠実に思える話し方である。


 だから、相手のことをよく観察し、よく知り、誠実に思っていなければならない。たとえば、次はこれですよね。そして、次はこれですね。次はこれと。











肯定的、建設的について 7



 プラス思考、ポジティブ 肯定的、建設的について 



 自分の都合のいいように考えるご都合主義のプラス思考、肯定的、ポジティブ思考ではなく、楽観、楽天である平和主義的な意識なのである。


 そして、その平和は、まもるものである。


 そのため、自分だけの願いでいいのであって、他人どうのこうのではない。他人には、他人のして欲しいことをしてあげるのであるのだから。


 そしてそれらは、最善でなくてはならないのは、言うまでもない。













建設的思考についておよび保存の法則について 4


 破壊的物事は、危険なのである。そして、建設的思考ならまだしも、実践においてそれは、危険はつき物なのである。危険が全く無ければ、全く問題ないのだが。これは、永劫回帰、輪廻にも通じることではないだろうか。










否定的について 3


 否定的な物事の考え方の人に、正しく諭しても無駄である。例えば、不安に駆られている人に、大丈夫だと諭しても、それを否定してくるまでである。当然、悪くなるよといえば、不安を煽るだけである。これこそ、個人が悟らなければならない所以ではなかろうか。


 ゆえに、否定的の物事を考える人に、何を言っても無駄である。










肯定的について及びプラス思考について 2



 これは決して、楽観視ではない。内省であり、注意を促してくれているものであり。ありがとうございますと言える。心的作用である。これは神様仏様が、何か促してくれているのだなと思う心である。決して、こんなことしたら、あんなことしたら、絶対そうなる、罰が当たると思う心ではない。



 さらにまた、悪いことでも必ずうまく言うでは困るのである。











肯定的について 1



 物に罪はないからである。どういう事かというと、例えば、罪を憎んで、人を憎まずであるのだが、当たり前に聞こえるだろうが、人は、物質的でもあるのである。肉体は、サルの延長でもありうる。サルに罪はない。人間の肉体が悪いのではなく、精神が悪かったのである。










人生哲学について 1



 死にざまではなく、生きざまが知りたいのではないのか。


 確かに、死に方ではなく、生き方ではないのか。


 なぜ、人生哲学に知識を求めるのか。


 神秘学に求めるのか。


 「なぜ、産んだんだ。」


 人の生命は生きるためにあるはずだ。この世が地獄とか、煉獄とかいうものであったとしても、どう生きるかという生き方であり、死に方ではないだろう。産んでおいて、死に方、というのは、言葉の綾だろう。言葉に関してのベクトルがおかしい。生むのだ。




 神秘学。あの世。死んだ人にしか、記憶として表現されないあの世としか思えない。人間は老死する。みんな老死するのである。わざわざ死んで知ろうとするのは道理ではない。




 神秘学は、啓示とか、預言者、悟り。この救済者たちは、精神的指導者たちは、大丈夫だろうか。



 一生懸命生きようとするようにするのが、正しく、殺されのるのがいやだから、自害とか、誰かのためとか、思想のための見栄とかは、二の次で、といいますか、論外、そんなことにならないような世の中にしたいのであり、人生にしたいし、そう生きたいのだ。生き方が知りたいのだ。



 幸福の追求とか、楽がしたいとか、自由とはとか、平等とかを望むだろう。