愛について



 憎悪は人間の感情である。逆説的に、愛も感情的である。


 完璧な愛は、自己愛、上座部、小乗仏教以外考えられない。仏陀は最後に自分を守らなければならないのである。自我と自己、無意識の愛。後に続く人間の概念大乗仏教等どうでもいい。問答無用である。


 南無阿弥陀仏であり、南無妙法蓮華経である。


 真理を愛だとすれば、愛が真理なら、そうする人達は、第二項はないのだが。


 憎しみは、愛の反対語であるが、別物である。心中を考えてみれば、分かるのである。愛する二人は、美しく語られるが、周りとの確執は、憎しみである。縁起、因縁を、無視しただけである。



序文


 まず人は、愛を恋愛感情から疑問を持ち始めるのではないだろうか。そして、答えの無いまま社会に出て行かなければならない。裏切り、分かってくれない、自由…。不安と期待の中で、理想を夢見るのではないだろうか。その中身は、憎しみであったり、新しい恋であったり、死にたいと思うこともあるかもしれない。また、他人の死であったり、愛と嫉妬であったり、職場の人間関係、同窓会の友達、親友対、家族などである。さらに、生まれたことに対する諸々の懐疑も再び芽生えるだろう。以上の点を守るという真理を立てて熟考していきたいと思う。



「問題提起」


 学びは、ゲームのようなものである。だから、楽しくもあり、お金のいることもあり、負けることもあるのである。必ず勝つためには、あるいは、負けないためにはあまねく学ばなければならない。それには時間も必要だろう。しかし、ゲームとは言え、負ければ悔しいのである。ゲームなのだからと安心していてはいけない。そんな話しは、言うに及ばないはずである。社会も同じである。なぜか、学びも社会も安全なルールの中で行なわれているといえるからだ。そう、法である。法は偉大な先人たちの哲学と、思想・主義からできていると言える。また、愛からできているといえるだろう。しかし、なぜ、愛なのだろう。また、なぜ、愛という主題に対して、これだけ多くのことを語らなければならないのだろうか。そんな社会という集団のなかで憎しみが生まれないわけが無いのではないだろうか。したがって、果たして、我々はこの社会で、愛を見つけるのは、難しいのだが。また、学ばなければならないことなのである。しかし、愛、憎しみ、その真理とは。

















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