所有について


 奴隷の所有が許されるか!?


 人間のものなどどこを探しても、何ひとつない。


 取り合いをしたり、争ったりするなら、所有権など逆効果ではないか。そのような事がないようにするための法律ではないか。


 法律は誰のものか? 宗教は誰のものか? 学問は誰のものか? 絵画はどうだ? 本人の描いたものなら、世界に一枚しかないのだから、問題ないのだが。


 新聞の写真はどう理解するのか?風景写真はどう理解するのか? 似顔絵は? 売れない画家の絵は? 



 自分だけが儲かるのではだめだったり、自分は捨ててしまうようなものだったりの自分の要らないものを他人のために作ったもので儲けるのか? 


 さらに、もし自分のためになっていたとして、そして他人のためにもなっていたとして、さらに自分が創ったもの、たとえば発明したと本人は思っているものを、自分はお金を払って所有しているのか。


 慣習、コモンセンス、良心…。


 法律は、平等にその国の人々のものだから。それに反することは、理にかなっていないと言うことか。迷惑条例。国に守られた学問。教育費、税金で買われた芸術、哲学、思想、宗教、こういうもののために税金を払っているようなものなのに、さらに払わなければ教育を受けることができない。知識を買わせている。何と卑しい考えなのか。


 西洋人の、植民地支配の、大義名分の、昔の黒人などに対する考えではないか。そんなことで世界が平和になるわけがないだろう。世界人である、世界の人々は、知る権利がある。


 また知るだけでなく、平和で豊かな国がどんなものか見て感じて、味わう権利もあるだろう。それが世界平和につながるのなら。その不幸な人、恵まれない人と思う人々から、その平和を知る権利のある貧しい人々から、お金を取るのか。そいつは馬鹿か。いや馬鹿よりひどい。人間じゃあない。知識とは何か。何のための知識か。天才だけが私腹を肥やす知恵が、何だと言うのか。猿知恵か。そんな天才はなんだと言うのか。馬鹿と天才は紙一重とはよく言ったもので。笑われたアイデアが、後になって日の目を見ることがある。馬鹿にされたアイデアが…。Idea。理想。このことは、この主題から少しはずれてしまうのでこのぐらいにさせてもらうことにして。


 弱肉強食からの自由。幸福。幸せと言う字は外して、福だけしか考えていないのではないだろうか。人類のための知恵なら、地球のための知恵なら・・・、英知。宇宙のための知恵なら。損得など考えないだろう。偉大な精神的指導者、キリスト、ブッダのように。モハメッドでもそうだ、宗教のためじゃあない。人々のためだったはずだ。神のための、人間のための 聖なる、自由への…。善のための。


 こういうことは、お金の問題ではない。無償の愛なのだ。


 貧乏人や、頭の良くない人や、社会の中の弱い人をいじめるようなことや、困らせるようなことは、とても頭が良いとはいえない。狡賢いのだ。


 天から授かった才能を、何のために使っているのか?


 悪用されない限り、無償の愛で、メッセージとして世の中が良くなるように、世界が良くなるように全て事を良くするのが、それが英知というものではないか。


 著作権が何だと言うのか?誰のものでもないものを、“悪用”されない限り、されていない限り、しない限り、罰する権利が誰にあると言うのか?


 英知(全て)を、神、仏、と言おうと、なんと言おうと、善のものであるといえるのではないだろうか。


 自分は、自分のことを棚にあげて、論じてしまったが、そういう自分は何だろうか?他人のひらめきの所有を、自分の自尊心、虚栄心のために使うための反駁でありました。


 結論として、自分の意見としては、知識は、善のためのものであると思います。


 失礼します。さて行動だ。頭ばかりでもしょうがない。






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