唯一の神について 5


 芸術は清潔でなければいけないのではないか。人間が、善でなければならないように。


 音楽は人間が奏でなければ音楽ではないのではないか。そうでない状態は、yesもnoもない。でなければ、だれが音楽とはと問うのか。


 神とは、万人が、納得する神を見て、語る人がいまだにいない間は、唯一の神とはならないだろう。そして、それを見、納得しなければならないだろう。


 唯一である神。


 その神とは、どんな神ですか。


 あなたの言うその神というのは…。


 語ってください…。




 聖書は、このように語られ、始まったのではないだろうか。そして、救世主は、いまだに現れていないユダヤ教。イエス・キリストがそうだという一神教のキリスト教。アラーのほかに神なしというイスラム教。
















創造主・神について 13





 神はよく、あえて語らず、行動せず、考えないのかもしれない。




 沈思黙考し、不動である。




 不変。


 創造主と、神の違いか。


 これは、グノーシスのデミウルゴスへの言及か。思索か。















時と場合について 1




 私はこの言葉が好きになれなかったのだが。

 時と場合にも、時と場合があるのだと悟った時。それでも、哲学的にも論理的にもいいではないかと思ったとき、または、悟った時、この言葉が好きになった。


 たとえば、テレビを見ている時はリラックスするべきだし、仕事中ではないので、それでいい、常套句であるが。


 しかし、火の元、誰か玄関に来たとき、気を配らなくてはならないわけだが、どうも腑に落ちないし、気に入らない。仕事中ではないからだ。




 しかし、テレビを見るときはテレビを見るべきだし、仕事中は仕事である。人が話をしている時は話を聞くべきだし、会議の時は会議をするべきだ。だから、時と場合の時も、時と場合があるのだ。


 何とか論法ではない。




 哲学者は、ああだこうだ言わせない、言いたくないために、ああだこうだ考えるのだ。思考とはそういうものかと。


 もっと言えば、その時その場のことを考え入ればいいものを。




 これも言い換えれば、今、ここ、である。


 愛は、愛である。これがいけないのか。あほか、と最近思えるようになったのである。


 という私も、いい加減これでもかと考えたということであるが。














環境問題について 1





 私は、私が知っている海以上にきれいな海を知らない。あるいは、いつも見ている海以上の海であったことを思いもしなくなっている。さらに、元に戻そうなどという気など起きなくなっている。


 そういえば、現代に生まれた人は、その海以上にきれいな海を知らないはずだ。

 この辺のうみはこれくらいが当たり前だと思っているはずだ。




 そして、この海が沖縄の海のようであったなどと思ってもみないだろう。


 まして、この海が、沖縄の海のように戻せるなどと思ってもみないのではないだろうか。

 果ては、この海くらいならましで、このままでいいと思っている。さらに、これくらいが、当たり前だと思っている。こうなるのも当たり前だし、しょうがないと。少なくとも一人は、そう思いはじめていた。


 何という事だろう、こんな海が当たり前なんて。


 沖縄の海のようだったこともあったはずだし、もとに戻すと言っても、どんな海がもとの海という事も、適当な想像ではないか。


 どこまでもきれいな海にできるはずであるのに。














ポジティヴについて 2



 ポジティヴには、肉体的なものと、精神的なものがあることに気づく。


 憤りをいつも感じていた。




 肉体的欲望のものだと、どうしても、矛盾を感じて、やりきれない気持ちがあったのだ。そこで理性を働かさなければならなくなる。健康のためには、偏りを考えなければならないし、腹8分目だ。



 ある意味、試練。だが、楽しい食欲の試練でもある。他の人間関係や、宗教的な試練より健全だ。


 この楽しい試練は、幸せだ。



 基本はやはり、自分の幸せを考えることが、他の人への幸せにつながるのだろう。自然に伝わるものだと思うのだ。自分だけの幸せでは、結果いけないのは当然で。




 さて、良心とは、理性とか精神的なものだろう。そして、知性。












ポジティブについて 1



 因果律など気にせず、因も果も幸せならいいと考えることではないか。

















実体について 1



 痛みのアクチュアル実在。痛みの潜在ポテンシャル。痛みのリアル。そして、トゥルー、一致、真理。自己同一、実体。


 痛みの本質症状、状態。同一その実存。病名カテゴリー。その実在、ポテンシャル、客観的リアル、患者。リアリティ。


 症状の本質からその主体病名カテゴリー。そして、人間の本性自然へ。人性。人間性。治癒。


 本性の普遍、実存、本質、潜在、実在実念⇔リアル⇔実体、本体、唯名。真理。リアル。


 痛みという言葉を、ほかの言葉に変えてみる。たとえば、愛。


 ただ、難しく思える。しかし、思えるだけではないだろうか。

















殺生について 1




 なぜ、地球には、食物連鎖があるのか。なぜ、我々は食べるのか。なぜ、神はこういう世界を創造したのか。我々は、動物を食べてはいけないのか。


 我々の胃袋は、それ自体で生き物のようである。胃が、返事をしそうである。


 神は、食を要求するか。


 地球に生まれる限り、免れない。未だに免れていないし、生まれながらに、免れていないようである。生き物の根元でもあり得そうだ。














鶏と卵について 1


 卵は、ある表現、状態として、細胞である。


 もっと言えば、単細胞。アメーバである。


 それが、鶏になってもおかしくはない。


 のではないか。


 創発と言えるかもしれない。













五感・知覚について 1






 なぜ目があるのか。


 なぜ見なければならないのか。


 なぜ聞く必要があるのか。


 なぜ味わう必要があるのか。


 なぜ嗅ぐ必要があるのか。


 なぜ、触知する必要があるのか。


 神と対話するためではなさそうなのだが。


 そうかもしれない。しかし、おおざっぱにい言わせてもらえるなら、生きるためであるのは確かなようだが。


 ……必要なのだ。不思議である。


 なぜ目なのか、なぜ耳なのか。…。…。…。すべてを見通せる感覚があるなら、それだけにすればよかったのではないか。


 何を見るために目があり、何を聞くために耳があり、……。……。……。


 目だけではだめなのか。耳だけではだめなのか。……。…。なぜににおいをかがなければならないのか。


 ………。


 なぜ、六感云々…。
















体験について 1



 神秘体験は、自分にしか分からない。当然である。たぶん、体験した人にしか分からない。たとえば、その時、病気の身体が治癒するのだ。なぜと言われても、科学的には分かりにくいだろう。そして、経験と言わず、体験なのだ。














物質化、創造について 14





 精神からの創造だから、細胞、汗云々、精子卵子、物質化、自分自身。


 単純なのだが。自分自身とは、精神的だ。
















否定的、ネガティブについて 4


 自分が苦しかった時の、救いの方法が良いのだ。人を救うのは良いのだ。


 否定的な人格の状態の時の人が、否定的な方法であろうが、その人が救われるということは、あるいは、肯定的なことで救われないのだから、また、それはさらに的を得てくる。その方法が、肯定的なのだ。


 だから、肯定的な状態の人には、肯定的な方法も、否定的な方法も必要ないのだから、論外である。


 そして、それはいじめにも、パワハラにも通じてしまう方法である。


 もう一度言おう、肯定的な状態の人に、その手の方法論は、哲学は、ナンセンスではないか。肯定的であろうが、否定的なことであろうが。そして、馬鹿強い人に、あるいは、悪い奴ほど、長生きする。嫌われているから、否定的な施しを受けてしまっている。うん…。私は何を言っているのか…。……。


 忍耐強くありますように。良心良心良心。

















立法者について 1



 歩く法律。


 切り捨てごめんが通る者である。













精神的霊的力について 13



 薬の力は正当、悪意を認めず。精神の力、人間自身の力は、悪意を感じるのか。


 物に罪はなく、人の意志が問題だ。


 人の世界の善悪という相対性。


 気で治すことができるのなら、気で反対のことができるだろうと思えるのである。


 善意なら、という気持ちは、気を付けるべきか。

 他人には効き目はなくとも、自分には暗示的でるからである。


 他人への魔術的悪意は、暗示的に方向性がネガティブに向いてしまうからであるのではないか。


 このような力は、他人には効かないが、自分には近代常識的に効いている気がする。