否定的について 3


 否定的な物事の考え方の人に、正しく諭しても無駄である。例えば、不安に駆られている人に、大丈夫だと諭しても、それを否定してくるまでである。当然、悪くなるよといえば、不安を煽るだけである。これこそ、個人が悟らなければならない所以ではなかろうか。


 ゆえに、否定的の物事を考える人に、何を言っても無駄である。










肯定的について及びプラス思考について 2



 これは決して、楽観視ではない。内省であり、注意を促してくれているものであり。ありがとうございますと言える。心的作用である。これは神様仏様が、何か促してくれているのだなと思う心である。決して、こんなことしたら、あんなことしたら、絶対そうなる、罰が当たると思う心ではない。



 さらにまた、悪いことでも必ずうまく言うでは困るのである。











肯定的について 1



 物に罪はないからである。どういう事かというと、例えば、罪を憎んで、人を憎まずであるのだが、当たり前に聞こえるだろうが、人は、物質的でもあるのである。肉体は、サルの延長でもありうる。サルに罪はない。人間の肉体が悪いのではなく、精神が悪かったのである。










人生哲学について 1



 死にざまではなく、生きざまが知りたいのではないのか。


 確かに、死に方ではなく、生き方ではないのか。


 なぜ、人生哲学に知識を求めるのか。


 神秘学に求めるのか。


 「なぜ、産んだんだ。」


 人の生命は生きるためにあるはずだ。この世が地獄とか、煉獄とかいうものであったとしても、どう生きるかという生き方であり、死に方ではないだろう。産んでおいて、死に方、というのは、言葉の綾だろう。言葉に関してのベクトルがおかしい。生むのだ。




 神秘学。あの世。死んだ人にしか、記憶として表現されないあの世としか思えない。人間は老死する。みんな老死するのである。わざわざ死んで知ろうとするのは道理ではない。




 神秘学は、啓示とか、預言者、悟り。この救済者たちは、精神的指導者たちは、大丈夫だろうか。



 一生懸命生きようとするようにするのが、正しく、殺されのるのがいやだから、自害とか、誰かのためとか、思想のための見栄とかは、二の次で、といいますか、論外、そんなことにならないような世の中にしたいのであり、人生にしたいし、そう生きたいのだ。生き方が知りたいのだ。



 幸福の追求とか、楽がしたいとか、自由とはとか、平等とかを望むだろう。












物質的について 2 成功哲学において 1


 いわゆる、取らぬ狸の皮算用。物質的準備ではなく、イメージ、精神的心的イメージである。技術の準備、お金の準備、余暇の準備である。


 あなたが本当に必要なら、お金の準備もしてくれるだろう。だから、必要になったときに、すぐに対応できるのようにするのだ


 要するに、用意必要の順序が逆にならないようにすることが大切なのではないだろうか。たとえば、信者もいないのに、教会を先に建ててしまう、とかである。


 これらは、確かに物質的にならないほうがいいだろう。





成功哲学とかについて 4




 なぜ、「成功するか」という「するか」なのか。


 成功の反対は、なぜ失敗なのか。


 人間は、自分を守りながら生きるしかないのに。


 それ以上を求めるからか。


 それとは何だろうか。


 かっこよく言えば、ありのまま、そのままの自分だろう。


 ただ、法則性、神秘学的に言えば、宇宙の法則。


 挑戦とかしなければ、普通に生きられるが。


 守りながら生きるのが普通なのだから、常に成功していなければならないのに。


 気を付けているのが、注意しているのが、当たり前のことなのだから。


 心構えである。











成功哲学について 3



 人間はやりたいように、やれるわけがないのだから、成りたいように成れるわけがない。成りたいように、やれないのだから。やりたいようにやれる人間が何処に居よう。よく考えてもらいたい。やりたいようにやっているように思えても、限界内でやっているのだ。











インターネットについて 2



 タバコかお酒の銘柄である。あるいは、旅行のパンフレット?


 興味がなければ見向きもされず。はまれば、どつぼ?


 エロ・サイト、インターネット・ゲーム然りである。


 麻薬気味?


 そして、その対称は、凄く、全てが狭い様に、感じるのである。


 ニーズにしても、そのまま視覚的視野にしても、その他諸々にしても。














インターネットについて 1




 押し付けは良くない。例えば、スパムである。興味のないのに読ませるのは良くないのである。ニュースは、民意が決めるのである。ニュースでも見たくない人は見ないのである。我々の意義からすれば、道は開かれているが、興味がなければ開かれないのである。それは、インターネットで暴露しようが、である。日本の政治がどうなろうが、関係ないと思っている人がニュースを見ない。政治に参加しない、選挙に行かない割合と同じである。インターネットなど、出入り口である。去るものは追わず、来るものは拒まずである。


 「何で暴露するのか」ではない。公開はされているのだ。お金を出せばだが。いつでも、閲覧できるのと同じである。これはクリーンだろうか。それにあなたが興味があるから、開いたのではない。すでに開かれているものに、あなたが興味が湧き開いただけである。拓いたのではない。お金を出せばいくらでも開くのだから。


 昔と違って、ポスター、パンフレットを町中に貼ったり、撒いたり、配ったりするのとは全く違う。歩けば目に入るものではない。辞書の一ページのようなもので、開くか開かないかは個人の重要性の問題である。


 また、テレビ、ラジオのように、興味はなくても、目や耳に入るものではない。どちらかといえば、地方新聞のようなものである。ま、お金を払わなければ、だが。払ったとしても、狭いものである。


 たとえ全て公開してあっても、全て一時に見れるわけでも、読めるわけでもないのである。たとえ、写しとってもである。もちろん、丸々売れば、犯罪である。











進化について 6


 進化に意志、好みとか嗜好は反映されるのであろうか。人は、生き物の進化において、自分を守るために進化したという言い回しで説明しているナレーターの言葉をよく耳にするのである。そう考えると、意志が反映されそうである。しかし、個人的あるいは個体、個々人のことは、あるいは子孫反映のためであるのは、時間的集団的にはDNAの変化が難しいのかもしれない。


 また、突然変異ほどの宇宙の力は人間には強大すぎる。やさしく長い時間が必要なのだ。地球のように。











進化について 2






 完全な幸福の追求、探求である。


 大前提である。


 なぜ、人間は生まれてくるのか、なぜ、存在するのか。


 解けた。生まれえたから、生むから存在するのである。存在論的に言えば完全なる進化のため、存在させる、生む、存在するといえないだろうか。


 もう、存在論で悩まない。


コメント(2)


生きるって、根源的なものから 日常の些細なものまで、疑問を一つずつ解いて 進化していくことなんですかねぇ…^^^




かも知れませんね。_ρ^^b











進化について 1



 人間はその最高善において、捨てたもんじゃぁない。


 側面:相対的主観的表現、客観的、原理法則


 性格=霊性


 物質と霊性


 質と性=性質


 作用、機能、Function




 物質世界という本質


 感情→印象


 推論=機能、五感、能力


 目が過活動すると推論も五感も壊れやすい


 しかし、まもる 











まもるについて 3


 健康は、まもるものである。


 助けるものではないし、救うものでもないだろう。


 しかし、健康でなければ、救えない命がある。


 まもるには、前提がある。


 まもるもの。


 健康。


 家族の健康。組織の健康。


 社会の健康、平和。


 人類の健康、自然の健康、地球の健康。











愛について 49 憎しみについて 3



 過ちは、正解にすれば、愛になる。



 ×は、○にすれば良い。憎しみは、憎しみ合う者同士が、丸く収まり、愛に満ちてしまえば憎しみは消えてしまいそうだ。



 謝るとか、そうじゃない。収まるところに収まることではないか。愛によるところの過ちは、愛に。お金によるところはお金に。罪によるところは、正しいことに。死に対しては生におさまるしかない。と思うが、生がいいものなのかどうかは神に聞かなければならないが。



 たとえば、生は罪の贖いととか、この世は地獄とすればそうではない。死は、死に収まることになってしまうということだ。



 さて、憎しみは、愛に包み込んでしまわなければおさまらないのではないか。



 もとのさやとかそういう突っつくような問題を挑んでいるわけではない。



 愛は、肉体的には無理でも精神的に見捨てない。ことなのではないか。











まもるについて 副題:愛欲について 1


 愛抜きで守らなければならない時が当然あるのだろう。


 これは、仏教の愛欲に通じるのではないだろうか。










自己について 12


 自己とは、自分で己を守るのである。今ここである。過去でもない、未来でもないし、英語でセルフ。あるいは、インサイト、洞察力である。自力。


 されど、他力、心の迷い、気力。未熟な技術、おぼつかない。体の疲れ、体がぐずる。心技体。精神力と能力、技術と機能、運動神経である。疲れた自分と、それでも頑張る自分である。











好きな言葉について 2


 好きな言葉、まもる。そして嗜むでしたが、酒がやまりましたので、除外です。今は、「熟考し、賢く振る舞い、安全に行動し、賢く話し、流暢に書く」を足します。ちなみに、タバコは吸いません。










生命について 7 16



 「これ」といって、形に見えない実念・実在であり、唯名である。これを概念という。名辞。


 客観的に「これ」と言って、見せるためにそのものを出せない。意味。抽象。命題。コンセプト。「あれ」。











生命について 4 15


 生命とは生きる意志である。さて、この命題、真か。


 意志とはエネルギーで動くものである。


 後はシステムである。オンラインで繋ぎ、製造するだけである。いわゆる自己修復である。エネルギーがあれば生き続ける。しかし、細胞ではない。DNAでもない、RNAでもない。


 人間の、生き物、生命の定義にあわない。しかし、あらゆるものに魂は宿る。


 有機体サイボーグ


 地球規模的細胞。


 これは、RNA的である。


 RANに似ている。









生命について 3  14





 肉欲の愛なく存在せず。


 理性の愛により、存在せず。


 仏性無く、存在し。


 創造主の愛無く、肉欲なし。


 創造主無く、存在なし。


 愛欲無く、存在せず。


 仏はこの世に未練なし。










生命について 2 13






 これを語ることは、エゴである。「私は知っている」と。


 また、都合よく語ることが、義務となる。さらに、それを越えているから、贖い、償いとなる。

 人間の考え出した、区別するための言葉。差異。



 ソシュール。



 デリダ...。

 脱構築。



 生命とは、人間が発明したのではない。発見とも言い難い。悪い言い方をすれば、決め付けただけである。














命について



 命はつながっている


 大きいものも小さいものも


 草も木も花も


 コウロギも


 生きとし生けるものすべてつながっている


 そう思ってみてよ


 木に眠る鳥も


 葉も実も食べても


 木は生きてる


 皆、命がオーラで繋がってる


 ほら


 …ね










私、いわゆる自分について


 光、光は知恵である。愛、光と生命、知恵と意志。哲学、魔術、思想、アレイスター・クローリー?



 自分。


 そして、自己とか、自我とは言いにくく、書きづらく、使いにくいのである。


 題を、自己についてとか、自我についてとかにしようと思ったが・・・。












自己について 11



 今、ここに生きる人間。


 何か特別に学ぶこと、教え、例えば特別な悟り、真理ではないだろう。


 自己の本性を見出す、自然の中の仏、自然の中の仏の本性を信じて、人間の心の本性、本来の自己などなど、平等、等しいこと、などを学ぶのではないか。ただ単純に翻訳による頓珍漢。


 しかし、兎にも角にも、そこで十牛の半分なのだ。


 そこからまだ途中。続くのだ。


 自分は人間なのだ。仏でもないし、菩薩でもない。なれるかもしれないが、所詮人間の考えなのだ。


 他に世界があるとしても、人間として生まれ、人間として、この世で生きてゆかなければならないし、この世で悟るのだ。


 そこで、道半ばである。


 もっとあるかもしれない。無限性。有無。無いものは無い。有るものは無限的に無限性を持ちつつ有る。


 平等を見出したものは。


 単純に自己の英語訳は self 本性はnature である。