天下り、大学出、高卒。暴走族、ボンボンいじめ。落ちこぼれとゆとり教育。
多数決。大学出と、高卒とでは、どちらが多数なのだろう。これによって、政治も変わるような気がする。従属として、選挙結果も、選挙への参加も。そして、政治家諸氏の言動も。
落ちこぼれ、ゆとり教育への移行。未婚はどちらに入るのだろう。離婚者は。ホモ・サピエンスとは。また、どちら。多数派なのか、少数派なのか。官なのか。民なのかである。事業仕訳ならぬ、能力仕訳。これはすでに人件費として行われていた。
国家、正義のために。
なぜ、不良は、ワル、悪なのだろうか。我々はどちらだろうか。官か民か。これも多数決なのか。とすると、多いのは、不良か優等生か。政治にもこれが動因として働いているような気がする。こうしてみると、警察の動き頷ける点があるのでは。たとえば、livedoorのあの事件と、* 沢の、* 山の。
官のすること、たとえば、天下りは、不良を、また民を完全にバカにしているとしか思えない。原発は、民にも課題を多く感じるが、官は民に、そう思わせているのではないかとも思える。
いじめは、不良が行う。暴走族も。しかし、警察官には向かうが、他の官には向かわない。
政治には、向かわないということは、選挙にはいかないということである。政治家には、好都合なのかもしれない。言い換えれば、関わりたくない。来てくれないほうがいいと思われているのではないだろうか。
パラダイムシフト。アセンション。
アニメ、テレビゲーム。バーチャルな世界は、どちらに矛先が向いているのだろうかと思えてしまう。厄介払いで、現実世界から逸らされていないだろうか。
官は、大学紛争など、起きてほしいとは思わないだろう。
なぜか、この課題は、コントロール等、人為をかんじるのだが。
高次の世界、高級な精神のなせるものなのだろうか。