現実について



 死だけが現実として意識されるのではないだろうか。あの世には何も持って行けず、持っていけたとしても今度生まれるときは、自分のもではないのだ。どんな偉大な実績も。


 この世は夢の如し、あの世は殆ど夢、夢。


 全て悟ったとき、生まれなくていい?


 全て悟ったのなら、もう、次の実績も、新しい哲学も悟りも必要ないのだ。故に何も創造する必要はないのである。ありのままあるのだ。それが神なのだ。あまねく、神様も照らす。仏も。


 自ら自らを照らす。鏡のように。反映である。光あれ。


 完璧なら生む必要ないのである。だから創造なのだ。自分に似せて。不完全な宗教。


 だからグノーシスは嫌われたのだ。


 創造の不完全が暴露されたから。されたら困るからである。


 これで、錬金術と結びつく。全て黄金に変えたなら、この論のメタファーである。


 述べれば、創造主への回帰の「霊薬」「賢者の石」「エレクシル」何と言おうとそれなのである。それがあろうとなかろうとそれなのである。すべての始まりの点、その前のそれ、入れる状態。神と言おうと仏と言おうと。言葉と愚者を越えて、あれ、あれだって、ん~と、あれ。ばーか。馬鹿と天才は紙一重。















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