願望について


 どうこうしてもらいたいではなくて、自分がどうしたいかだ。なぜ人間は不完全なのかと問うようなものだ。そして人間に問うなど可笑しなことである。神に問うことである。

 人間は自由を手にした。自由でなくしてこの問いはありえない。だから、他人に、服従を負わせるのは矛盾である。自由がなければ、願いなどありえないのだから。従うにしても、善悪の選択があって、拒否できるのが自由なのだから矛盾である。また、願い自体ありえない。神も願いを持つはずである。出なければ自由でなく、全知全能でなくなるのであり、ただの法則である。そして、自由が利かないのである。簡単に言ってしまえば、髪が自由だから、人間も自由が利くのである。そして善かあくかではなく、祝福か、罪を選ぶか、なのであって、善を行なわす、あるいは善を行なう事を前提でなければ、法律も道徳も成り立たない。あるいは、必要ない。悪を行なうことが必然なら、法律はいらないのだから。言いかえれば、悪を行なうのが当たり前なら必要ないのである。野生の動物に善も悪もなく見えるのだから。人間にある願望とは、見えてくるのである。祈りである。神の存在。善である。





この記事へのコメント