ニーチェの哲学より



 単なる神がいるとかいないとかではなくて、神の定義とか、存在するとしたら云々である。何でも言葉への定義が無ければ、何も語ることはできないのである。言葉が通じないと同じである。要は、真理が主語で、その定義、意味が述語であり、形容詞などが縁起である。また、神の存在とはでは無くて、神存在は、ご都合主義であるとか、それはその人の言葉の出会いとか、人生で何かそれについて嫌な思いをしたかで、替わってくるのであるから。西洋は、神とは、であって懐疑・理論である。無神論者は、実践智である。神とは、という言葉の粋を出ないけれども、自己とか自我は、実践を伴う主観的な考えなのである。合一、恍惚、忘我、悟り、エクスタシー。上部座。仏陀、ラーマ・クリシュナは執着しないが、キリストは幻想の粋から脱していない。最初に言葉があった。あれとかこれとかでは何がなんだか分からないのと同じである。執着するのである。逆説的に問えば、分かりやすい。最高善とは、至高のものとは、聖なるものとは、全知全能とは、創造主がいるとすれば。これらの意味する一つの言葉で言うなら、真理となる。ロゴス。


 そして、偶然この世が誕生したなら偶然再び滅んだり、偶然できたりしたなら、偶然あくなることもある。全て偶然なら、数学の公式も物理学も学ぶものが無いではないですか。過去偶然なら歴史など学ぶ価値が無い。明日も偶然やってくるなんてありえるだろうか。この摂理は、なんだと思いますか。人間はいなくても明日は来る理由ですよ。必然に、災いは罰で起こるわけではなくて、自身のミスなのです。ミスをすれば必然に被るのでする宇宙の法則を間違えれば、ロケットは月へは行けません。この法則はなんですかと問うているのです。ここからは簡単に言えば、この人間、宇宙の一部分の人間は、この宇宙の法則の中にあって、外にあるのではなく、倫理され宇宙の中の必然であるわけです。人間が思考を持ったのは、偶然ではなく、この法則の一部分です。間違いなく、宇宙の法則は人間が作ったのではないのです。では、この法則はどこから来たのでしょう。進化も宇宙の法則であるので、思考の発達も、法則である。この進化は何処に行くのでしょう。転生ではないでしょうか。偶然はありえないのですから、偶然思考を持ったとはいえないのです。何が意図したのでしょうか。必然あら人間の行き着くところがあるはずです。説明してください。そうすれば、あなたの答えがそのままあなたの疑問を解くはずです。


 それは死なない神の摂理、不滅の魂の転生ではないですか。人間は全て知りたいのです。全ての人間はそうではないですか。この考えは万人共通でしょう。言いかえれば、死なないのは物質です。この魂は、このスピリットは、死にますか。このとき「神は死んだ」のです。物質の永劫回帰など問題ではないのです。このスピリットとソウルと、魂か、すべても、知れば何になるのですか。何になるのですか。超人。あまねく照らす光でしょう。地球を救える能力が備われば、人類を救えるでしょう。それを神とか仏とか言ってはいけないのでしょうか。キリストではだめですか。この進化した人間は、そのとき人間とはいわないかもしれないけれど、人間の進化ではないでしょうか。超人ではないですか。復活ではないでしょうか。生まれる必要のない仏ではないでしょうか。言いかえれば、死なない仏ではないでしょうか。2009/12/04

人間に生まれたからには、人間として生きなければいけない。


 サイボーグに生まれれば、世界は変わるといえるだろう。


 また、進化すれば、人間とは言わないかもしれない。




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